己書ご縁道場と名付けた理由。ご縁を繋げるのが使命と感じた日②

たった一枚の御葉書を出したのがきっかけで、島根下やんファミリーとの交流が増えていった。
島根県でイベントが立つ度に行くようになった。
その頃、私は大阪などで、下やんファミリーで活躍している方々のセミナー、講座の主催やスタッフなどを積極的にしていた。
自分の事より人の事。
頼まれ事は試され事。
こんなノリだった。
自分の事だと、面倒くさいのに、なぜか、人のためだと力が湧いてくる。
そんな時、島根の足立典子さんこと、のんちゃんから連絡があった。
群馬県の下やんファミリーに荒井名津子(なつびん)さんという方がいるんだけど、
その方のファンなの。
なつびんの筆文字講座の主催をしてほしいとの事だった。
荒井名津子(なつびん)さんは、以前にも書いたが、己書3期師範だ。
元々、なつびん先生が己書の師範試験に合格したと、フェイスブックで投稿したのがきっかけで、
私も己書師範になったようなもんだ。
なので、この辺りの繋がりがなかったら、私は己書とすら出会ってないことになる。
それは、いいが、群馬県から島根県に来てもらうとなると、交通費、宿泊費、いくらかかるのだろう⁉️
とりあえず、のんちゃんを介して、なつびんとのやりとり、打ち合わせが始まる。
その結果。
私が往復交通費、宿泊費、全て持つので、筆文字講座、笑顔セミナーをお一人2000縁でやって頂ける事になった。
群馬県から、来たことのない島根県に、会ったことのない私の頼みをよく聞いてくれたもんだ‼️
私は自分が、己書師範になってから、わかったことが、いっぱいある。
みんな結構、むちゃくちゃなお願いをしたもんだ🙇♂️
穴があったら入りたい。
今の私が、こんなむちゃくちゃな幸座依頼をされたら、受けるだろうか‼️
結局、のんちゃんとなつびんの顔合わせをする事は出来た。
講座もなんとか無事終了した。
それから2年程たったある日。
島根下やんファミリーの方々から連絡がきた。
のんちゃんが亡くなられた。
という事だった。
確か、土曜日か日曜日だった。
私はその頃、地元、城崎温泉の旅館に勤務していた。
とてもじゃないが忙しくて休めるような日ではなかった。
仕方がない。
忙しいのだから。
のんちゃんへの願いは果たしたし、葬儀には行けないが、許してくれるだろう❗️
とは思ったが、落ち着かない。
行かないと、一生後悔しそうな衝動にかられた。
上司と部下に頼み込んで、何とか休めることになった。
こんな忙しい日に休むのかと、結構ぶーぶー言われたが、仕事が終わってから夜中に島根県に向かった。
車で5時間程かかるので、仮眠休憩をしながら丁度いいくらいに到着した。
葬儀には島根下やんファミリーや、大阪方面からも下やんファミリーの友達がやって来た。
みんな、随分前から覚悟していたので、再開を喜び和やかな雰囲気だった。
私もそうだったし、既に役目は終えたと思っていたので、泣いたりする事はないだろうと思っていた。
ほかのみんなもそうだったと思う。
最後に棺桶の中の、のんちゃんの御遺体に「皆さん、どうぞ最後のお別れに触れてやって下さい。」
と、御家族の方に言われ、のんちゃんの御顔にそっと触れた。
その時、なぜか、涙が溢れて止まらなくなった。号泣した。
そして、
「淳ちゃん、もっともっとご縁を繋げていってね。約束だよ。」
と、言われたような気がした。
この時、ご縁を繋げていくのが自分の使命なのだと思った。
この出来事から、数年後、己書師範になったとき。
己書ご縁道場という、道場名にしたのだった🙇♂️