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己書幸師としてやっていく決断をするも、アルバイトを考えた日々。



只今、己書ご縁道場は、1か月17教室。
170人弱の生徒さんに来て頂いている。
それでも、正直言ってなんとかやってます。
というくらいのレベルだ。

今から7年くらい前、己書師範として己書筆文字講座を始めた頃は、全く話にならなかった。

最初の一年間は、来て頂いた生徒さんは10人もいなかった。

という事は、経済的にかなり厳しいということになるが、
元々、生まれた頃から厳しかったので、そんなに危機感もなく、
手持ち資金が尽きるまでに、なんとか生徒さんが増えればいいだろう。
と、軽く考えていた。
実家は代々商売をしているが、裕福な環境になった事はない。
なので、勤めを辞めて実家の商売を継ぐのは、甘いものではないという覚悟はあったが、
こんなにも早く経済的危機になるとは、思ってもみなかった。

だが、「まぁ、大丈夫だろう‼️」

毎日のように、新聞広告には求人のチラシが入っている。
いざとなれば、深夜の工場のアルバイトでも、土方の日雇いのアルバイトでもすれば、
なんとか、やっていけるだろう‼️

と、本気で思っていた。

大阪に20年程、住んでいたが、そのあたりのアルバイトはひと通りやってきた。
少々の事は何でも出来る自信もあった。
なので、いざとなったら、そうすればいいと思っていた。
ところが、あっという間に、いざとなってしまった。

そりゃそうだ❗️
己書幸座をやっても、10回に7回は誰も来ない。
その内の3回は、生徒さんが、1人、2人、4人というような状態だった。

生徒さんが1人の時など、受講料を、2000円頂いて、セミナールームの場所代を、2400円支払って帰るという、
いったい何をやっているのかわからないような事をひたすらやっていた。

改めて、つくづく、サラリーマンの安定さを思い知らされる。

昼間は、特にお客さんが誰も来ないお店の店番があるので、深夜の工場のアルバイトでもしようと思い、
いつも新聞に入っている求人チラシに電話をしてみた。
すると、最近の工場などは、ほとんどの所が間に人材派遣会社が入っており、
結構、融通がきかない環境になっていた。

大阪で日払いの仕事をしていた時などは、電話もせず集合場所の駅前に行けば、
普通に仕事が出来たが、

電話した人材派遣会社の対応は、「副業としては出来ません。当社の仕事一本にして下さい。」
と言うのだ‼️

「私は重機の資格も複数持っており、工場での経験もあります。」
と言っても、取り合ってもらえなかった。

その時、仕事が出来なくて落ち込むより先に、

あぁ、これは、お前はアルバイトなどせず、己書一本に集中しろという事なんだな。
と、悟った。

だが、これは単なる勘違いかも知れない❗️

勘違いかも知れないが、その時は筆文字を描く以外なかった。
なんせ、暇なのだ。

描いて、描いて、描きまくった。

今思えば、あの時、アルバイトに専念していたら、今、来て頂いている生徒さんたちにも出会っていないかも知れないし、
そもそも、己書10000枚すら達成していなかっただろう。

まだまだ、これからもこのような事態になる事もあるだろうが、

日々、描き続けていきます。

ところで、肝心の経済的危機は、どうしたかって⁉️

お恥ずかしい話ですが、

保険屋さんと、国民金融公庫さんに融資をして頂いた。
世の中、なんとかなるもんだ🙇‍♂️