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断捨離中に出てきた父親の日記。お金の事しか考えてなかった頃⑥



来年は芦屋の六麓荘に引っ越そうなんて調子にのっていたが、今月のマンションの家賃も払えそうにない‼️
何もする気にはなれなかった。
ビルゲイツを目標にしていたが、1週間ほどで、あっという間に借金が1180万円だ❗️
到底返せるとは思えない。

貯金でもしておけばよかったのだろうが、入ったお金は毎晩みんなを連れて焼肉だの蟹だの食べに行き全て奢っていたので、そんなものはなかった。

何もする気にはならないが、腹はへってくる。
よく三度のめしより◯◯が好き。
なんて言うが、そんなにみんな好きなのだろうか⁉️
食べないと死んでしまうから食べているだけだろう‼️
食べなくてよければ、食費もかからない。

銀行通帳にいくら残っているかみたら、全部1000円以下なので引き出しも出来ない。
ズボンのポケットの中、財布の中、いつの間にか置いてあった貯金箱。
ほとんど小銭だったが、確か、2900円くらいあったかな‼️

借金が1000万円以上あるのに残金がこれだけ‼️
なかなか正比例しないなぁ〜❗️

その時は天神橋8丁目という所に住んでいた。
すぐ近くに北長柄橋という結構大きな橋があった。
その橋の上から下の川を見つめて、ここから飛び下りたら死ねるかな〜‼️
なんて思った。

何のあてもなく堤防沿いをふらふら歩いた。
気がついたら十三まで来ていた。

金融屋さんの看板がいっぱい並んでいるのを見て、ひょっとしたら、お金貸してくれるかも⁉️
そう思って一軒の金融屋さんに入った。
確か、ア◯◯さんだったと思う。

渡された用紙に、なんだかんだ記入して借り入れ額のところに10万円と書いて出した。

しばらくすると、明らかに私より若い女の子が出てきて、
「お客様、誠に申し訳ありませんが、ご融資する事が出来ません。」
と、言われた。

でしょうね😝

とは思ったが、目の前で、その用紙を破かれた時は自分の全人格を否定されたような気がした。
もう、ここまで来ると情けないのを通り越して涙も出ない。

仕方なしに表に出た。
これから、どうしょう❗️
という考えもでてこない。
少し歩いていると、公衆電話があった。
その頃は携帯するのが大変な携帯電話が世に出だした頃だ。
公衆電話は普通にその辺にたくさんあった。

ふと親の顔が浮かんだが、あてにならないのはわかっていた。
大学を卒業する時に車の免許をとりに行こうと思ったが、お金もないし、子供の時から貰っていたお年玉を親が管理していたので、それで車の免許をとろうと思い電話したことがあったが、そんなものは、とっくの昔に借金の穴埋めに使い込んでいて影も形もなかった。
なんという親だ‼️
と思い、それ以来、ろくに連絡もしてなかった。
したところで話にならないだろう‼️
だが、あてもないので、実家に電話したみた。
父親が出たので正直に話した。
「会社を潰してヘタ打った。今、1180万円の借金がある。なんとかならないか⁉️」
それを聞いて親父は、たった一言こう言った。
「そうか。今、うちには借金が8800万円ある。」
と言って、ガシャんと電話を切った☎️

おいおいおいおいおいおい〜

今、まさか電話を切りやがったの⁉️
信じられない‼️
我が子が死ぬか、生きるかの命の電話をしているのに、

電話を切るという選択肢があるのか⁉️

まぁ、あてにする自分がどうかしているとしか思えない。

人間、予想していなかった事がおきると、時に訳の分からない行動をとったりするものだ。

受話器を置いて振り向いた時、リヤカーを引いてダンボールを集めているオッチャンと目があった。
「オッチャン、俺、これからいったいどうしたらいいんだろう⁉️」
勿論、初対面の通りすがりのオッチャンにである。
そのオッチャンもノリ良く即座に答えてくれた。
「にいちゃん、行くとこまで行かんかい❗️」

行くとこって、どこやねん‼️」

つづく🙇‍♂️

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