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断捨離中に出てきた父親の日記。お金の事しか考えてなかった頃②



会社を辞めたというより、行かなくなった。
お世話になったのに挨拶も無し。
人としてサイテーである。

今更、会社にも行けないので、その時行っていたスポーツジムにふらふらと行った時、
以前から中のいい女の子と会ったので、色々話していると、
「会社辞めてする事ないなら、人材派遣会社やれば‼️」
と言うのだ‼️
この娘はちょっと頭がおかしいのかな⁉️
普通にそう思った。
会社勤めもろくに出来ずに逃げてきたような奴に、いきなり人材派遣会社をやれ‼️
後頭部に1㎝くらいの穴が空いているに違いない❗️
本気でそう思った。

彼女が言うには、モデルのマネごとみたいな仕事を兄が経営している人材派遣会社でやっているらしい。
コンパニオン的な感じかな‼️

その頃は、まだバブルがはじけてなかった時。
世間ではヤングエグゼクティブという言葉が流行り出した頃。
若い子が起業したり、ネットワークビジネスなどが他国から入って来て好景気の頃だった。
ちょっと頭の痛い子でも勢いだけあれば稼げたような、正に泡みたいな時期だ❗️

ところが、今思うとその彼女がえらい出来る子だった。
私の部屋に勝手に上がり込んできて知らない間に事務所にしてしまい。
頼んでもいないのに、勝手に営業に行って仕事をとってくるのだ。
挙げ句の果てに自分の友達を勝手に派遣して仕事をまとめてくる。

その頃、私は6畳くらいの狭いマンションに住んでいたが、常に見たこともない女の子が10人くらいウロチョロしていた。
さすがにいつまでも、ボ〜っとしている訳にもいかず、自分も営業のマネごとみたいな事をやりだした。

この頃はどこの会社もお金があり余っていたのか、よく仕事を頂いた。
仕事といっても、言われた人数を聞いて女の子に行ってもらうだけだ。
自分はろくに仕事もしていないのに、どんどんお金が入って来る。
こうなると、余程人間が出来た人でも頭がおかしくなってくるだろう‼️
ちなみに私は全く人間が出来ていなかった。

勘違いも始まって来る。
「間違いない。俺は天才だ。」
「来年は芦屋の六麓荘に引っ越そう。」
「君は誰に口をきいているのだ‼️」

こんなセリフが出てきたら、後は落ちる所まで落ちるだけだ❗️
その頃もうカウントダウンが始まっていた。

その時、派遣社員‼️
として来ていた男の子が、バリ島だかどこだかに旅行に行くというので、シャレで餞別をいくらか持たした。
すると、その子もシャレのつもりだったのか‼️
狭い部屋に入り切れないくらいの段ボールの箱が届き、中には現地のお土産物やアクセサリー、Tシャツなどが入っていた。

「こんなの、どうする訳⁉️」

と、ボヤいていると。
なんせ、その頃は常に女の子がウロウロしている部屋である。
段ボールの中の物を出してきて、
「これ可愛いから売れますよ。」
と言うのだ。

今ならやらないが、その頃はとにかく頭がいかれていた頃だ。
「じゃ、売ってくるわ。」

その頃は自分でも、何をやってるのかよく分からなかったので⁉️

作った名刺の肩書きには、  『青年実業家』 と、書いていた。

おそらく、その頃、西日本でいちばんバカだったと思う。

つづく🙇‍♂️

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