もう二度と絵なんか描くもんか‼️ と、誓った私が、まさか、己書師範に。

小学校。中学校。高校。大学。
ほとんど勉強した記憶がない。
それほど、勉強が嫌いだったかな⁉️
というより、嫌いかどうかもわからない存在だった。
ざっくり言うと、全く興味がなかった。
学生が勉強に興味がない‼️
それで、筋が通るのか‼️
通らないから、ず〜と、劣等生だった。
いまだに何故か、思い出せないが、小さい頃から、とにかく、周りのみんなは凄くて、
私は、何も出来ないように思っていた。
よくわからないが、自分の顔も変な顔だと思っていた。
まさに生まれつきの劣等感の塊だった。
体も小さく、いつも並ぶといちばん前だ。
同じ学年で自分より小さい子を見たことがなかった。
体もない、体力もない。
音楽も未だに音符も読めない。
本なんて読んだことがない。
なんであんな、文字しかない物を読めるのか⁉️
教科書も漫画にしてほしかった。
そんな私でも、一つだけ夢中になれるものがあった。
それが、昔で言う、図画工作。
今はなんて言ってるのかな⁉️
とにかく絵を描くのが好きだった。
でも、決して優秀ではなかった。
いわゆる賞というものなど、取ったことがない。
今、己書の先生と呼ばれるような立場になり、生徒さんからよく聞かれることがある。
先生は、小さい頃から絵は上手だったんですか⁉️
はっきり言って全然下手だった。
私より上手な子はいっぱいいた。
それに大体そういう子は、絵も上手、勉強も出来る。スポーツも万能だ。
一体どうなってる⁉️
私は唯一好きな絵すら誰にも勝てない。
でも絵を描くのがたまらなく好きだった私は、中学2年の時、意を決して美術の先生に相談に行った。
「先生、将来、画家になりたいと思っているのですが、どうすればなれますか⁉️」
確か、かなりワクワクしながら、この質問をしたと思う。
自分勝手にかなり具体的なアドバイスを頂けると思っていたからだ。
その先生は、たった一言こう言った。
「食えないからやめとけ‼️」
当時の自分には、例えようもないショックだった🤯
まるで、口から手を突っ込まれ、内臓を全部引き抜かれたような感覚だった。
まぁそんな経験は未だにないが、あったらこの世にいないだろう。
そもそも中学2年の私に仕事で食えるとか‼️
食えないとかいう感覚すらわからない⁉️
その後、先生もなんだかんだ説明をしていたようだったが、何も聞こえてこなかった。
それほどショックは大きかった。
元々、口の悪い先生だったが、それ以降、絵など描くものかと誓った。
高校は鳥取の私立の高校に行ったが、音楽、美術のない学校だったので、ますます絵から遠ざかった。
その時は、これでいいのだ。
と、思っていた。
大学から大阪に出て来た。
街には、様々なデザインや絵が溢れている。
そのひとつひとつが目にとまる。
まだ、未練があるのだろうか⁉️
何度か描こうとしたが、描く勇気がない。
本来、描くのに勇気などいらないのに‼️
小さい頃は、描くのが、ただ楽しくて描いていたのに。
なぜ、こうなってしまった⁉️
私は中学卒業後、事あるごとに上手くいかない事があると、この先生を恨んだ。
あの先生が、あんな事を言うから、こんなことになるんだよ‼️
だが、自分が色々経験をし、勉強をしていくうちに、それは自分の考え方にあると気付いていく。