己書師範を目指して名古屋に通い始めた日々。己書誕生のおはなし。
己書師範になる。
と、言った以上、途中でやめるわけにはいかない。
という事で、名古屋まで、己書幸座を受講しに通うことになる。
今では、己書師範と呼ばれる先生は日本全国に1000人以上。
それこそ、北は北海道から南は沖縄、石垣島にも。
また、海外にも5名ほどおられるようだ。
己書を習おうと思えば習えそうな環境になってきた。
だが、その頃は、とりあえず名古屋まで行かなくては幸座がなかった。
というより、名古屋まで片道5時間かけて行っても己書幸座をやっている先生自体が、そんなにおられなかった。
反対に、己書師範になるための受講回数、検定など、その頃はなかった。
今では己書師範になるための制度がきちんと定められているので、少し説明しますね。
まず、幸座を受講すると、己書の会員証が貰えます。
受講されると、己書スタンプを担当師範が押していきます。
己書には級があります。
10級ー2回
9級ー4回
8級ー6回
7級ー9回
6級ー12回
5級ー16回
4級ー20回
3級検定。
2級検定。
1級検定。
4級まで20回受講することになる。
また、8級より免除を差し上げることになります。
1級までいけば、担当の師範の推薦があれば、己書師範試験を受ける事が出来ます。
私が師範を目指していた頃は、この制度が、まだ確立されてなかったため、
杉浦正総師範と桜山千花先生に相談し、「まぁ、だいたい20回くらい受講したらいいかな‼️」
という事で、20回受講を目標に名古屋まで通いだした。
その頃の話もいいのだが、そんな事より、
己書創設のお話を先にしておきたい。
元々、杉浦正総師範は己書というグループを作る気などなかったらしい。
デザインのお仕事をしていたので、名古屋の街中に杉浦正総師範の作品。
お店の看板、メニューなどなどが至る所にあるらしい。
それに目を奪われたのが、桜山千花先生👩🏫だ。
是非、この筆文字を教えてほしいと、杉浦正総師範のところに何度もお願いしに行ったらしいが、
その頃、そんな気のなかった杉浦正総師範は、ず〜〜〜と断っていたらしい。
桜山千花先生がお願いに通う事。
120回以上。
ついに杉浦正総師範も根負けし、己書の歴史が始まった。
これは、とんでもない事である。
もし、桜山千花先生が、
20回目で諦めていたら。
80回目で諦めていたら。
100回目で諦めていたら。
当然、私は己書師範になっていない。
存在すらしてないだろうから、なりようもない。
今、己書を中心にとんでもないご縁が広がっている。
私もそうだが、人生が変わった方もたくさんいる。
始まりは、全て、小さい。
それが、たった1人、桜山千花先生の
どうしても習いたい。
どうしても描きたい。
という強いおもいからきている。
こんな事が、私に出来ただろうか⁉️
普通の方々なら、3回くらいで諦めるだろう⁉️
それを、120回以上お願いしに桜山千花先生は通ったのだ。
この行為は、私からすると、ノーベル賞級の大偉業だ🙇♂️
頭が下がる思いだ。
こうして、己書が誕生し、私も師範試験に向け、次々とお題をこなしていくこととなる。